【ローマ -カラカラ浴場、チルコ・マッシモ、真実の口、マルケルス劇場、パンテオン-】
一路ローマに戻って来たぴよ夫婦、残すところ観光出来るのも後1日半。 本来の予定では、今日はまず「アッピア街道」に行くハズだった。 だが、ここまでの日程でかーなーりーハードに歩き回って体力的に限界に近い事、そしてぴよがナポリで最後にデジカメをスラれてひどく落ち込んでいる事・・・いや、実はそれほど落ち込んではいなかったが(画像はカプリ島だけだったし)、イライラしているという方が正しいのかもしれない(苦笑) まあ、様々な事情を鑑みて、アッピア街道に行くのは断念した。 ダーは相変わらず不機嫌MAXなぴよに、おずおずと自分のデジカメを差し出す。 「オレはそんなに写真に興味ないし(ボソボソ)、お前が使ってもいいよ」 余りに気の毒なので、交代に使うという事で(でも結局はぴよの方が圧倒的に使いまくったが)気を取り直して観光に出かける事にしよう。 アッピア街道に行かない代わりに朝一番に到着したのは・・・カラカラ |
要するに「巨大スーパー銭湯」 古代ローマではレジャーというと お風呂に入るか競技場で残酷な 殺し合いショーを見るのが定番 このカラカラ浴場は一度に 1,600人も収容出来たそうだ |
当時の内部予想図等の説明が 書かれている訳だ → ここにはお風呂・サウナだけでなく トレーニングジムや図書館、 会議室やスタジアム、 また商店なども立ち並んで 相当豪華な施設だった模様 今現在は、毎年この場所で オペラコンサート等を 行っているそうだ まあ、オペラコンサートくらいは 楽に出来るでしょうね それくらいだだっ広い |
カラカラ浴場を出て、真実の口方面に向かうと「チルコ・マッシモ」がある。 元は15万人も一度に収容し、馬引き戦車の競争等を行う巨大な円形競技場だったそうなのだが、今となってはただ何もない広大な原っぱでしかない。 |
← チルコ・マッシモの中心で アホを晒す、の図 本当に広大な原っぱ だけど、ここが最後に使われた のって西暦549年だっていうんだよ 要するにそれ以降ずーっと この状態で誰もその後この土地を 有効活用する事もなく残っている という事なんだよね? 日本じゃ考えられないよねぇ(苦笑) |
はいはい、誰でもやるぅ~♪ 言わずと知れた「真実の口」 実はこの写真を撮る為に カメラの後ろにはずらぁ~っと 行列が出来てるんだな(苦笑) ぴよ達が行った時はたまたま 団体観光客がいなかったので 待ちがなかったが、しばらくして 団体が来たのでカオスと化す。 早々に退散決定~(^-^; |
真実の口広場を抜けてちょっと行くと「マルケルス劇場」がある。 突如ダーがやけに興奮し始める・・・ このマルケルス劇場は、ダーご心酔のカエサルが建設を始めた円形競技場らしいのだ。 カエサル絡みになるとやたらと興奮するダーだ。よく理解出来ない(苦笑) ちなみに、建設を始めたのはカエサルだけど、結局彼の生きている間には完成せずに紀元前11世紀頃にアウグストゥスの手によってようやく完成したそうだ。 |
右画像は、左上画像の上半分の アップな訳ですが・・・ この円形競技場、下半分は確かに 当時のままのようなのだが その後様々な人の手に渡る内に 中世期に宮殿になったそーで 上部分は居住区になっている 何だか妙な建物よね(笑) 左上画像の右端にある3本の柱は 紀元前34世紀に再建された アポロ神殿のものだそうだ |
マルケルス劇場からテクテクと歩いて、パンテオンまでやって来た。 あ、ちなみに旅行記読んでるだけじゃー全然距離感判らないと思うけど、今日カラカラ浴場からここまで何も公共交通機関使ってないからね。全部徒歩だから! そうね、地下鉄で言うと余裕で5~6区以上(もっとか?)は歩いてるかしらっ パンテオンを知らない人は流石にほとんどいなかろう。 現存するローマ時代の建築の中で最も完全な形で残り、しかも石造建築としては世界最大。 元は紀元前27年に建ったのだがそれは80年頃に火事で消失し、今あるのは118年にハドリアヌス帝によって再建されたもの。再建っつっても今から1900年以上前だもんね。そりゃー古いですわ。 ダーは早くパンテオンの中に入りたくてウズウズしてるのだが・・・ぴよはパンテオン前のオベリスクが飾ってある噴水に目が釘付けになっていた。 |
左上画像がオベリスクな訳ですが、その台座部分が彫刻を施した噴水になってるんだけどね、 その噴水の彫刻が・・・(右上画像) コレはダメだろう!(爆) 美しいとはお世辞にも言えず、面白い・・・と通り越して「奇怪」としか言いようがないぞ。 ・・・何故か、ローマには「はぁ?」な噴水が多いんですよね。 ぴよが噴水を撮影しながら爆笑していると、しびれを切らしたダーが呼びに来た はいはいはい。行きますよ。行きますってば。(^-^; |
パンテオン内部は今は霊廟に なっているが、元は神殿だった 何故この神殿は破壊されずに そのまま残ったのかというと 7世紀にこの神殿が時の法王に 献上され、その際に聖母と殉教者を 祀る教会に変えられたからだ とにかく中はすんげー人・人・人 だが、何故か日本人観光客は 余り目にしないのだな スペイン広場辺りでは散々見かけた 日本人、どこにいっちゃったんだろ? |
ここにはイタリア国王・ウンベルト一世やエマヌエーレ2世等のイタリアにとって重要な人物の墓が入っているが、その中でも最も人気があるのが「ラファエロの墓」(画像左上) 彼は37歳という若さで亡くなったが、死ぬ際にパンテオンに自分を埋葬するように言い残し、更には自分の墓に飾るようにロレンツェットに「聖母子像(画像右上)」を依頼した。 ココには分割して載せたけど、左上画像の霊廟の上部に聖母子像が掲げられている。 ラファエロの霊廟は大人気なので、他人の人影を入れずに撮影するのは困難です(^-^; |